院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


干支システムの功罪


 日本の干支システムは、恐ろしい。干支が判明してしまうと、よほどの若づくりか老け顔でないかぎり、年齢がばれてしまう。年齢を聞かれた場合、三十代後半ですとか、四十代半ばですとか、ご想像におまかせします、などと取り繕うことが出来るけれども、干支を聞かれた場合はそうはいかない。「そうですねえ、酉から寅の間です。」と答えると、相手は大いにまごつくだろうし、「ご想像におまかせします。」と言うと、「猿に似ているから申年ね。」と言われかねない。世の淑女の皆様は言うに及ばず、年齢詐称の勇気もなく、あきらめムードをちょい悪おやじモードで逃げ切ろうとする私ですら、干支のカミングアウトにはやはり抵抗を感じる。そんな事情の中、半ば強制的な執筆依頼でこの原稿を書かせてしまう広報委員のみなさまには(呪わしいことに私もその一人であるのだが)ささやかな皮肉を込めて、「新年早々よけいなお世話、どうもありがとう。」と言いたい。このような看過できない問題を含んだ干支システムではあるが、世代を越えた交流、親近感の形成には一役買ったりする。「いやー奇遇ですなあ。S君と同じ干支だったなんて。ちょうど一回り違うわけですな。美人で有名な秘書課のM子ちゃんも同じ干支なんですよ。知ってました?彼女とは二回りも違うんだけどね。いやー奇遇奇遇、ここは同じ干支同志仲良く、やりましょうや、ワッハッハ。」奇遇でもなんでもなく、ただ単に十二才と二十四才年が離れているだけなのだが、とかく話題に事欠く、地位や年齢格差のある集まりなどでは、その場しのぎにせよなかなか役に立つ話題ではある。


 さて私の干支亥は、イメージとしては猪突猛進・質実剛健・直球勝負といった所だが、自身とは正反対であることに気づき、しばし愕然とする。私はと言えば、興味の赴くまま、あっちふらふら、こっちふらふら。ありえない妄想に逃避してみたり、自分を誤魔化すために、次はどんな変化球を投げようかと思案する毎日。様々な情報渦巻く現代においてなお、自分自身を見失わず、不器用でも実直で一途な生きざまが最高にカッコ良く、次世代に受け継ぐべき美徳なのだ!という達観に、時に励まされ、だがしかし分かってはいても実践できないジレンマに悩まされるのも、きわめて個人的な干支システムの功罪である。



目次へ戻る / 前のエッセイ / 次のエッセイ